授戒会を申し込み戒名を授かって2年。
気がつけばポンコツな自分にも頼まれごとが凄く増えた
授戒を受けて戒名を授かってからの生活は今までの自分とは別モノで価値観ともにホントに別世界になりつつあります
個人的な感想と今実践している事を記述させていただきます
戒名を授かってみて
先ず個人的にですが本来の自分の名前って親が最初に授けてくれた贈り物みたいな、名前というザックリとしたフォルムをまとわせた、そんなイメージが思い浮かびます
親の想い、願いを宿した塊が生まれた頃の自分ならば自己がある程度確立して来ている大人になった自分には自分への想いがあります
自分が好む服装に個性がにじむように、
心と身体の相互に違和感を感じる事があるように、
ペンネームがあるように、
アーティスト名があるように、
私は自分に変容を願って佛心宗学院を受講したわけですけど、願った以上実践あるのみ
で、授戒会のお話を聞いた時
自分が持つ自分のイメージと他人が私の名前を呼ぶその名前になんか違和感を持つようになりました
本来の名前が気に入らないとかじゃなく違和感なんですよ
今の自分って他の人から見ればどんな感じなんだろうか
そんな軽率なノリでその道のプロ、私の場合ですが沢山の授戒会の申し込みがあるであろう大愚和尚様に申し込んだワケですが、申し込んだその中のその中でイクラ丼の一粒くらいの存在の私ですが自分の過去とこれからの誓願を聞いてくださり新たな名前、戒名をいただきました
ハッキリ言って今の自分は超名前負けしてるなと思いました笑
で、どうやって名前負けしない自分になろうか。
そんな事をいつも考えながら毎日実践しています
未来の自分に仕込む“戒め”の効果効能
個人的に感じる事として
時間が経つにつれ
日常のふとした瞬間に
何で授戒会申し込んだんだっけ?と思う事が多くなる
その度に
あー自分ってあの頃
本気で変わりたいって
強く願ったんだった。。と振り返る
そして戒名を見るたび
授戒会を受けた理由を思い出すたびに
今の自分は変容出来てるだろうか。と振り返らざるを得ない
反省と戒め
その反省の結果、結果論として
自分にとって戒名は文字通り”戒め“となり
過去の自分が今の自分、今後の自分へと敷いた
縛りのようなシステムを自然発生的に構築した
自惚れようにも自惚れにくい
何故なら自惚れてズッコケた過去の自分が
今を常に見ているのだから。
そしてこの見事なシステムのおかげだろうか、周りの関わってくださる人達もまた今までの価値観では計れない価値観の人達として過去の人脈と入れ替わって新たなご縁となっているように思う。
今までの太い思考とは違う綱渡り的な細〜い道を揺ら揺らバランス取って前に進んでいるつもりの今がとても楽しい
もちろん過去の人脈も大切な人脈なんだけど一緒にはいられない違和感が生まれているのも本音。
間違いなく言える事は、今は前よりも心地良い人達に囲まれている点。
言ってみれば過去の自分は今よりも荒んでいた自分だったって事に気づく
思考停止をやめて思考してみた現在
自分が変わる、は価値観の変容なんだから
出会う人の質?みたいなモノも変わりだしたんだと感じる
質という言い方をしている所が今の自分の実力なんだとも思う
自分が変われば周りが変わる
自分が愚痴らなければ愚痴らない人が現れる、いや、前からいた事に気づく。
自分が妬まなければ妬む人と泥試合せずにスルー出来る。
妬むカードは沢山あるし妬まないカードがレアカードならば優劣とかじゃなく成長次第で一目置かれるレアカードになるんじゃないかと今は思う
妬むとかキレるとか愚痴るとか簡単な意思表示で他人が心地良いと思うはずがない
怒る人の根底には自分が偉いと思っている心理があるそうですがその思考停止の感情表現、偉いんならアタマ使ってプラスになるエネルギーに変換できるはず
反省▶︎改善の実践はビジネスもスポーツも共通で人間関係も一問一答の通りだなぁと実践して改めて感じます
誓願が属性でもあるのが戒名なら生きている内に授かった戒名の力は凄まじい
自らが願ったプロセスを名前にして生きていく、戒名をまとってみてしっくりきてます♫